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西いなば気楽里通信

西いなば気楽里通信R3.9月号

今月の特集

シリーズ「西いなば探訪」9 山陰地方唯一の海女漁 "四百年の歴史を持つ" 夏泊の海女
昭和40年代の夏泊漁港 撮影 井上写真館 井上英穂氏
  西いなば地域には、鹿野城主亀井茲矩公に所縁を持つ多くの事物が伝わっていますが、夏泊の海女漁の歴史もその一つ。遥か400年超、亀井さんも出陣した豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役/1592-93年)にまでさかのぼります。
夏泊の開祖 助右衛門  
鉄永商店発行絵葉書(大正時代)「青谷海岸夏泊浦海女アワビ取」より(あおや郷土館所蔵)
  文禄の役への出兵を前に、肥前名護屋(佐賀県唐津市)に陣を構えた茲矩は、朝鮮へ渡るため船頭を探し求めます。そして筑前国梶免村(福岡県宗像市大島と考えられる)の漁夫・助右衛門を召して士分とし、水先案内をまかせました。
 朝鮮から帰国した助右衛門は一旦梶免村に帰ったのち家族と共に鹿野城の茲矩を訪ねました。茲矩は水先案内の労功として、西は潮津浜から東は長尾境までの漁場と夏泊に居宅を建て与え夏泊8町四方を御免地(無税地)にしました。
 助右衛門とともに夏泊に移り住んだ妻は、海女の名手であり、村の女性にアワビやサザエ、イガイなどの海女漁を伝授。以来夏泊の海女漁は連綿と受け継がれていきました。
守り伝えたい海女漁の歴史
写真 あやゆ郷土館(平成15年)
夏泊の海女漁が最も盛んだったのは昭和30年前後と云われています。海女漁は30人ほどの集団で行われます。そのころウエットスーツはなく白いシマ着で漁をしました。当時は漁船に女性を乗せることが許されていなかったため、海女さんたちは長尾鼻の岩場から泳いで漁場に通いました。ワカメ漁は春先に行われます。海女漁で収穫されたワカメは手で絞ったあと岩の表面に貼り付けて乾燥させます。こうして作られた「しぼりワカメ」は、品質や保存性の良さから高い人気を博しました。 永い歴史を持つ夏泊の海女漁も高齢化などにより2013(平成25)年海女組合が解散しましたが、西いなばのかけがえのない財産として大切に守り伝えて行きましょう。
長尾鼻 ~鳥取県最大の岬~  
長尾鼻
 西因幡県立自然公園にも指定されている長尾鼻は鳥取県最大の岬です。約160万年前の火山活動により流れ下った溶岩は長尾鼻で日本海に沈みます。その後長い年月をかけて波に浸食されてできた岩石海岸は、三方が展望できる景勝地となっています。岬の東端には魚見台、北端台地上に長尾鼻灯台、そして西端にあるのが夏泊漁港です。長尾鼻はスズキやクロダイなどの絶好の釣り場となっているほか、海底には大きな瀬が点在しアワビやサザエ等の貝類、ワカメなど海藻が豊富です。また、ズワイガニ(松葉ガニ)やアカガレイの産卵場もあるため、沖合底引き網漁の良い漁場ともなっています。

山陰海岸ジオパークと西いなばのジオサイト
山陰海岸ジオパークは、京都府の経ケ岬から青谷西端にかけての東西約120キロメートル、南北最大30キロメートル、面積約2,500平方キロメートルに及ぶ広大なエリアを有しています(右図参照)。2010(平成22)年に世界ジオパークネットワークに認定されました。西いなば地域は、4年後のエリア拡大により加わっています。山陰海岸ジオパークのテーマは「日本海形成に伴う多様な地形・地質・風土と人々の暮らし」。ダイナミックな大地の営みとそこに息づく人々の暮らしと文化を学び楽しむ場所がジオパークです。西いなば地域には海女漁の伝わる夏泊漁港はじめ多くのジオサイトがあります。それぞれのジオサイトの地形・地質、そこで育まれてきた文化や歴史にぜひ触れてみてください。

<西いなばのジオサイトと主な見どころ紹介>
 青谷海岸周辺(井手ケ浜、長尾鼻、夏泊漁港など)、勝部・日置周辺(鳴滝、不動滝、子守神社の岩窟、因州和紙など)、浜村温泉周辺(浜村海岸、魚見台、日光池、貝殻節など)、鹿野周辺(鹿野城下町、鹿野断層、布勢の清水、鹿野祭りなど)
【参考文献等】
〇「わたくしたちの鹿野」
    (H16鹿野町教育委員会)
 〇「展覧会図録 夏泊の海女」
    (H29鳥取市歴史博物館)
〇「山陰海岸ジオパーク物語 海女の里・夏泊」
  (H28鳥取県山陰海岸ジオパーク推進室)
<ホームページ>
〇鳥取市(青谷町総合支所)
 https://www.city.tottori.lg.jp/
〇山陰海岸ジオパーク推進協議会
 https://sanin-geo.jp
鳥取西いなばまちづくり株式会社
〒689-0422
鳥取県鳥取市鹿野町岡木280-3
TEL.0857-82-3178
FAX.0857-82-4178