西いなば気楽里通信
西いなば気楽里通信R4.5月号
西いなば探訪16 「亀井さんの大井手」~亀井さんを訪ねて その二~ (鳥取市河原町)
400年の時を超え大地を潤す 鳥取県下最大級の用水路
-延長20数Km-完成まで7年
茲矩は1602(慶長7)年から大井手用水路の開設に取り組み、千代川の川筋に取水堰を設けて水源とし、水路は、河原から江津・秋里・湖山に及ぶ約20Km余で灌漑面積は約千三百町歩に及び、施工には7年の歳月を要したといわれています。茲矩は、この用水路の開発を契機に、河原町の布袋や有富川と野坂川周辺の旧海徳村(徳尾、古海)の新田開発などにも積極的に取り組みました。
大井手用水路は今なお千代川左岸を潤す大動脈であり、用水の恩恵を長年にわたって受けてきた地域の人々は「亀井さんのおおいで」と親しみを込めて呼んでいます。
大井手物語
新たに高草郡を領有した亀井茲矩は、荒れ地や畑が多いうえに、水の便に乏しく、毎年のようにひでりに苦しんでいる様子を目の当たりにしました。
茲矩は、みずから数頭の馬を従え、数十日間にわたり周辺を見回りました。そしてある時、馬を千代川の曳田(現在の河原橋あたり)の岸に立て、そこから草をかき分けながら馬に乗ったまま通り、馬の通ったあとを用水路の中心と決め、水路を掘らせました。
土木技術が未発達な時代でしたが、河床の高さを決めるため、夜に提灯を立てて、数キロメートル離れたところから水準器で高低差を測ったりしています。
茲矩は、この工事を始める際、水取口の傍らに水路守護の神として市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀りました(現在の樋口神社/河原町河原)。なお、当時の水取口は「宮の前の大樋(通称5枚樋)と云われこの付近でした。
樋口神社の境内には1953(昭和28)年、茲矩への報恩の気持ちをあらわすため、大井手土地改良区により「亀井公頌徳碑」が建てられています。
【参考文献等】新訂郷土読本「わたくしたちの鹿野」(H16鹿野町・鹿野町教育委員会) 「とっとり井手物語」(H13鳥取県農林水産部農村整備課」「とっとり土地改良史」(H16水土里ネットとっとり) 「鳥取土地改良記念碑集」(H4 鳥取県土地改良事業団体連合会)





